餃子

離婚

元夫は料理上手だった。

一方、私は、なにを食べても「おいしいな」で、それ以上に追求したり、こだわったりすることもなく、彼と出会うまで、そして子どもを授かるまでは「食」というものに大きな興味を持ちあわせていなかった。

いつだか元夫が話してくれた、「味の立体感」という話が衝撃的だったのを覚えてる。

そんなもの意識してごはん食べてる人間がいるんだーくらい、私は何も感じず、味わうことを知らず今まで何億回のご飯を食べていたんだろう。彼が焙煎した珈琲を、《立体》というものを意識しながら飲んでみた。

本当だ!!!!!味って立体的!何これ!カタチを感じる!(珈琲だって元々好きでもなかったけど)味わいを捉えようとすることが、ものすごく面白かった!口の中に入れる前、入れた瞬間、噛んでる間、その後の余韻・・・。もう物語みたいやん!と

私の人生で、「食べる」ということが急に彩り豊かになったように感じた。そうか、みなさん今まで、こんな風に「食べる」を楽しんでいたのか。。。

前置きががくなったけど、元夫の餃子も最高に美味しかった。不覚にも食べたくなってしまった。

同じ味じゃなくていいから、自分で餃子を作りたい。けど自分にできるかな。冷凍餃子、買えばいーじゃん。あ、けど節約・・・うーん。多少悶々しながら、スーパーへ。3人でワーキャー食材を買う。

豚ひき肉、ニラ、キャベツ、長ネギ、塩胡椒、オイスターソース、醤油、ごま油、水、こねこね。あんの完成。お、なんかうまそうだ。ハンバーグと一緒やな。生肉こねて味付けする時、いつも思うことは、生肉も味見できたらええのに。焼くまで味がわからへんなんて、バクチやな。と。(経験不足による自信のなさよ)

さぁ包もう。子どもたちも誘おうかなと思ったけど、今日は母ちゃんだけでやろう。子どもたちも今日は珍しく2人でキャッキャとウッドデッキで遊んでいた。そのうちケンカが始まるだろうが、母ちゃんがチョチョイと美味い餃子を作ってやるぞ。

1個やって気づいた。「げ。これ、時間かかる・・・」 10コやって気づいた。「私、何個作ろうとしてるんだろう、多いな・・・」20個やって脳裏をよぎった。「この前、包まない餃子って動画見たなぁ・・・」 30個やって椅子を求めた。「包むを楽しめる体制取らなきゃ」 40個やって思った。「お!?今のキレイに包めたぞ!次もあの感じ!」 50個作り切って感じた「・・・私すごい!!!!」 達成感1000点満点!

なるほど、元夫はこういうことを楽しんでいたのか。私は元夫が料理に集中するこの時間、いつも子どもたちを見ていたから知らなかった。餃子、楽しい。めんどくさい。けどだんだん餃子が愛おしくなる、じっくり向き合う時間、そして達成感。焼くの楽しみ。友だち呼びたい。子どもたち、たくさん食べるかな。ワクワク。次はこの具を入れてみよう。皮は大きいサイズにしようかな・・・ぶつぶつ・・・。あぁ知らなかったな。

逆に元夫は、子どもたちと自ら進んで遊ぶことはなかったし、毎日子どもと遊ぶ楽しさや大変さを知らない。お互いの知らない世界。交代したり、共有しあったり、分かち合えればよかったんだろうな。(・・・いや、それは何度も試みた。あの時はそれがどう踏ん張ってもうまくいかなかったんだ・・・)

餃子は想像以上に美味しかった。作るということで、私が味わう美味しさが何倍にも増した。子どもが美味しそうに頬張る姿に幸せを感じた。料理が好きな人ってこういうことを楽しんでいるのかな。

「おとおの餃子も美味しかったけど、おかあのもめっちゃ美味しい!!」と4才の息子。おとおの話がここで出てくることに少しモヤッとし、けどやはりおとおの餃子は子どもたちも私も思い出すほどに、美味しかったんだ。

おとおに負けたくないなって思う私はまだまだ小さいけど、おとおいなくても、おいしいご飯や、毎日があるんだってちょっとでも思いたいんだ。元夫が得意なことは、今までお任せしてきたけれど、自分にもできるんじゃないかと思えることはなんだか嬉しかったし、誇らしい気持ちになる、これまたまだまだ小さいのかもしれないけど、未熟な自分をまた感じながらも、自分にできることが増えるって嬉しいことで、それっと子どもたちと同じだな。自立って楽しい。嬉しいこと。

なんでもやってみよう。餃子から学んだジャミーの夜ごはん。

私たちは離婚した。けど私は今もなお、元夫から学びを得ている。

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